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世界遺産の三内丸山遺跡や教会・銀行などの洋館巡りで、青森の歴史と建築に触れる

2023年6月17日

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市街地では世界遺産の三内丸山遺跡はじめ、教会・図書館・銀行などの洋館巡りで、青森の歴史と建築を見る

奥入瀬渓流や八甲田山、そして世界遺産の白神山地など。

青森といえば、山や海に囲まれた自然のスポットが知られているでしょう。

しかし、山や森から下りて市街を歩けば、桜で有名な弘前城や世界遺産の三内丸山遺跡など、建築や歴史に関わる観光スポットもたくさんあります。

筆者は、基本的に自然を巡る旅が多いのですが、同じ土地で気になるスポットがあると自然以外でもついでに寄り道することがあります。

今回は、世界遺産の三内丸山遺跡や教会巡りなど、青森の歴史を物語る建築や遺跡を紹介します。

弘前城などといったメジャーな観光地ではなく、街中で昔の面影を残しているどこか懐かしい景観を楽しむためのご参考になれば幸いです。

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三内丸山遺跡

三内丸山遺跡の正面ゲート

三内丸山遺跡(さんないまるやまいせき)は、今から紀元前約4000年以上前に営まれた縄文時代の前期から中期の拠点集落で、日本最大の縄文集落です。

1992年(平成4年)に遺跡が発見されたことから始まった発掘調査では、竪穴建物や掘立柱建物といった集落に盛土、貯蔵穴、大人や子どもの墓もあり、数多くの土器や石器、貴重な木製品、骨角製品などが発見されました。

大規模な盛土からは、日本最多となる2000点以上の土偶などが大量に出土しており、祭りや儀礼が長期間にわたり行われていたことを示しています。

遺跡の規模は、全体で約42ヘクタールで東京ドーム約9個分くらいになり、1500年以上もの長期間にわたり、狩猟や漁労を主な生業として定住が営まれた縄文時代の拠点集落の姿が明らかになっています。

竪穴建物跡

三内丸山遺跡の竪穴建物

竪穴建物跡は、地面を掘り込んで床を造った縄文時代中期の住居で、約500棟確認されています。

中央には炉があり、住居の形や柱の配置、炉の位置・構造は時代によって変化が見られます。

また、長さが10メートル以上のものを大型竪穴住居と呼び、三内丸山遺跡では最大のもので長さ約32メートル、幅約10メートルのものが見つかっています。

集落の中央付近から見つかることが多く、集会所や共同住宅として使われていた説が有力です。

掘立柱建物跡

三内丸山遺跡の掘立柱建物

掘立柱建物跡は、地面に柱穴を掘り木柱を建てて屋根を支えた高床建物と考えられ、集落の中央や南盛り土西側などから密集して見つかりました。

また、柱穴が直径約2メートル、深さ約2メートル、間隔が4.2メートル、中に直径約1メートルの木柱が入っている長方形の建物跡が大型掘立柱建物跡とされています。

材料はクリ材を中心に、屋根は茅葺きで、倉庫や住居として使われていたそうです。

遺跡は国の特別史跡に

三内丸山遺跡の大型竪穴住居

青森県は、この遺跡の重要性から1994年(平成6年)に遺跡の保存を決定し、その後遺跡の整備と公開を行い、2000年には国の特別史跡に指定されました。

また、2003年(平成15年)5月には、出土品1958点が重要文化財に指定されています。

そして2021年(令和3年)7月に、日本最大級の縄文集落跡である三内丸山遺跡を含む「北海道・北東北の縄文遺跡群」がユネスコ世界遺産(文化遺産)に登録され、青森県で白神山地に続く2つ目の世界遺産となりました。

白神山地については、下記記事をご参考ください。

出土品から見る当時の衣食住

三内丸山遺跡の資料館で展示されている哺乳類や鳥類の骨などの出土品

三内丸山遺跡では、長さ32メートル、幅9.8メートルの大型堅穴建物や高さ15メートルの大型掘立柱建物などが復元され、縄文時代の集落の全体像からその当時の生活に触れることができます。

また、盛土・貯蔵穴・粘土採掘穴・道路跡・墓といった住居要素だけでなく、クリやクルミをはじめとする木の実、魚や獣の骨も大量に発見されています。

土壌の中から検出された大量のクリ花粉から、集落の周辺にクリの純林が広がっていたと推定されています。

土器や石器以外にも木製品、骨角器、編籠、漆製品といった小物、食生活や環境を表す魚や動物の骨も展示されており、さらに、翡翠(ヒスイ)や遠隔地産の黒曜石も出土されていることに驚くでしょう。

三内丸山遺跡の資料館で展示されている土製や石製のアクセサリーなどの出土品

縄文時代の住まいや歴史に興味のある方は、世界遺産の三内丸山遺跡で縄文時代の村を体験してみてください。

筆者は、世界遺産に登録される前の三内丸山遺跡を訪ねたため、木の実や魚の骨などの保存などをしっかり見て驚きつつも、もっと深く見て理解してくればよかったと思っています。

三内丸山遺跡までのアクセス

住所

青森県青森市三内字丸山305

交通アクセス

JR「青森」駅より車で約20分
JR「青森」駅前の青森市営バス6番乗り場(三内丸山遺跡行き)より約30~40分、「三内丸山遺跡前」下車すぐ

藤田記念庭園(旧藤田家別邸)

藤田記念庭園(旧藤田家別邸)の正面

総面積が約2.18ヘクタール(約6600坪)ある藤田記念庭園は、弘前市出身の実業家である藤田謙一が、1921年(大正10年)に別荘として造らせたものです。

弘前公園に隣接し、弘前城の近くであることを意識した風格ある門構えで、対照的に大正ロマンを感じさせる洋館、他にも和館、考古館、岩木山を望む庭園が広がり、離れには茶屋(松風亭)もあり変化に富む景観を楽しむことができます。

2003年(平成15年)7月に、庭園内の洋館、和館、倉庫、冠木門、両袖番屋が国の有形文化財として登録されました。

実業家・藤田謙一について

藤田記念庭園の敷地内にある洋館

藤田謙一は、1873年(明治6年)に生まれ、5歳で親戚の藤田家の養子となりました。

高校卒業後に明治法律学校(現・明治大学)に入学し、熊野敏三法学博士の書生となります。

60社以上の会社の代表や取締役を経て、東京商工会議所会頭、日本商工会議所初代会頭に就任するなど日本屈指の財界人として活躍しました。

他には、藤田育英社の創設や弘前市公会堂の寄付など、多くの育英事業や寄付行為でも社会に貢献しています。

古き良き時代の面影残る藤田家別邸

藤田記念庭園(旧藤田家別邸)

藤田謙一が1946年(昭和21)年に死去した後、藤田家別邸の所有者は転々としていきますが、1987年(昭和62)年に弘前市が土地と建物を買い取って整備を行いました。

庭園は、藤田謙一が東京から庭師を招き、築庭させたものです。

洋館は、赤い三角屋根が特徴的で、堀江佐吉の六男・金造が設計し、長男の彦三郎が施行した木造モルタル建築です。

1階は無料でミニコンサートができるホール、藤田謙一に関する資料展示室も見学できます。

また、大正浪漫喫茶室というカフェもあり、ステンドグラスやタイル敷の床など大正時代の面影が残る建築様式に触れることができます。

喫茶室では、市内の洋菓子店から取り寄せた数種類のアップルパイやランチもあり、オリジナルで作られたドリップコーヒーと一緒にいただけます。

2階は第一・第二会議室で暖炉があり、柱頭には彫刻が施されていますが、会議室利用者のみしか使用できません。

和館は書院造りで、裏手には津軽地方にて出土した土器等が展示されている考古館があります。

藤田記念庭園までのアクセス

住所

青森県弘前市大字上白銀町8-1

交通アクセス

JR「弘前」駅より車で15分
JR「弘前」駅より弘南バスで約20分、「市役所前公園入口」下車徒歩3分

弘前市内の教会・洋館巡り

弘前市内の教会で見られるステンドグラス

ここからは、弘前市内で見られる教会・洋館などの歴史的な建造物を紹介していきますが、事前情報として教会の違いや著名建築家について解説します。

カトリック教会とは

カトリック教会は、ローマ教皇を最高指導者とするキリスト教最大の教派です。

全世界に13億人以上の信徒を有するといわれており、その中心をローマの司教座に置くことから「ローマ教会」あるいは「ローマ・カトリック教会」とも呼ばれています。

プロテスタント教会とは

プロテスタント教会は、ルネサンスの宗教改革によって、キリスト教の中でもカトリック派から分離・独立した教派の総称です。

教会の権威に基づく体系的な教義や儀式から離れ、聖書のみの信仰を中心にする教会で、日本の各地にも存在しています。

日本では、カトリック教会(旧教)に対し、プロテスタント教会を「新教」(しんきょう)ともいうそうです。

カトリック教会とプロテスタント教会の違い

カトリック教会とプロテスタント教会で大きく違うのは、ローマ教皇の扱いです。

極端に説明すると、カトリックではローマ教皇を教会のトップであり、特別な存在であると扱いますが、プロテスタントでは人間は神以外皆同じと考え、ローマ教皇を特別な存在として扱いません。

見分け方としては、プロテスタント教会では「牧師さん」で、カトリック教会では「神父さん」と呼び、仏教でいう法要もプロテスタントでは「記念集会」、カトリックでは「追悼ミサ」と呼び方が異なります。

キリスト教にあまり馴染みがない方でも、この2つを覚えておくと区別がつきやすいでしょう。

記念集会と追悼ミサは、どちらも親しい人が集まり故人を偲ぶ会で、会の後は皆でお茶会などが開かれる流れが多いようです。

名大工・堀江佐吉について

明治・大正時代に建てられた弘前市の洋風建築は、多くが大工棟梁の堀江佐吉によるものです。

国の文化財に指定されている建物も多く、特に1904年に建築された旧第五十九銀行本店本館(現青森銀行記念館)は後世に残る傑作のひとつとなっています。

現在の太宰治記念館である斜陽館も手がけました。

堀江佐吉は、700人を超える職人を抱え、細かに技術指導をしながら洋風建築のみならず、弘前城天守の石垣が崩落した際には、天守閣を人力にて移動させて石垣の修復を行ったり、革秀寺や長勝寺の修繕工事を行ったりするなど、城大工の技術を生かした和風建築の名手でもあったそうです。

前述のカトリック教会とプロテスタント教会を施行したのは、堀江佐吉の子孫です。

堀江佐吉の死後、その知識と技術を受け継いだ子どもたちが中心となり、前述の藤田家別邸洋館はじめ、旧第八師団長官舎、翠明荘、日本基督教団弘前教会堂などの建築に携わりました。

カトリック弘前教会

カトリック弘前教会の外観

カトリック弘前教会は、1910年(明治43年)に建造されたロマネスク様式の聖堂です。

1878年(明治18年)に函館から訪れたペテェ神父が民家を教会に改修したことが始まりで、オージェ神父による設計のもと、堀江佐吉の弟・横山常吉が施工したといわれています。

先の尖った木造モルタル建築に、祭壇はオランダのアムステルダムにある聖トマス教会から特別に譲り受けたものでゴシック様式とされています。

教会の内部は白を基調としており、ステンドグラスも美しく訪れる人を温かい光で迎えてくれます。

カトリック弘前教会までのアクセス

住所

青森県弘前市百石町小路20

交通アクセス

JR「弘前」駅より弘南バスで約10分「弘前文化センター」下車

日本キリスト教団弘前教会

日本キリスト教団弘前教会の外観

日本キリスト教団弘前教会(日本基督教団弘前教会)は、1906年(明治39年)12月に建造された東北初のプロテスタント教会です。

1875年(明治8年)に、横浜から弘前に戻り東奥義塾々長となった本多庸一が、同行したジョン・イングと共に設立した弘前公会を母体としています。

現在の教会堂は、1904年(明治37年)に焼失した教会堂に代わって、設計は弘前学院外人宣教師館も手がけた桜庭駒五郎で、洋風建築を数多く手がけた堀江佐吉の四男・斉藤伊三郎により建てられました。

外観は、パリのノートルダム大聖堂を彷彿とさせる双塔ゴシック様式の重厚な木造2階建てです。

内部は和洋折衷の作りで、1階は襖で仕切られ、2階は30畳の和室となっていますが、2018年以降、2階は見学できないようです。

1993年(平成5年)7月、青森県の重要文化財に指定されています。

日本キリスト教団弘前教会までのアクセス

住所

青森県弘前市元寺町48

交通アクセス

JR「弘前」駅または弘南鉄道「弘前中央」駅よりタクシーで7分
JR「弘前」駅より弘南バスの土手町循環100円バスで約20分、「文化センター前」下車徒歩5分

旧弘前市立図書館

旧弘前市立図書館の外観

旧弘前市立図書館は、日露戦争による第八師団関連の請負工事で得た大きな利益を公共に還元しようという目的により、当時市立であった東奥義塾の敷地に建てられました。

堀江佐吉は、当初の設計を大きく変更し規模を約4倍にして、1906年(明治39年)に竣工しました。

ルネサンス様式を基調としながらも随所に和風様式が取り入れられた木造3階建てで、八角形の双塔のドームや正面のドーマー窓、玄関ポーチのペディメントなど、明治洋風建築として晩年の堀江佐吉による手法と技術といわれているそうです。

室内を明るくするために多数の窓を設け、多方向から採光するよう工夫もされていました。

昭和初期までは市立図書館として利用されていましたが、1963年(昭和38年)から1987年(昭和62年)までは女子学生向けの下宿や喫茶店として使用されました。

その後、市政100周年を記念して、現在地に移築復元されています。

旧弘前市立図書館までのアクセス

住所

青森県弘前市下白銀町2-1

交通アクセス

JR「弘前」駅前より弘南バスの土手町循環100円バスで約15分、「市役所前」下車すぐ

弘前昇天教会

弘前昇天教会の外観

弘前昇天教会(日本聖公会弘前昇天教会)は、愛知県明治村にある聖ヨハネ教会教会堂(国指定重要文化財)と同じ立教大学校長を務めたジェームズ・ガーディナーの設計で、1920年(大正9年)に建設されました。

外観は、イギリス積みの赤レンガが特徴的なゴシック様式で、表面にはキリスト教のシンボルが精巧に刻印されています。

正面右寄りにある三角塔の鐘は、アメリカで鋳造されたトレフォイルという三葉形のアーチに納められており、朝夕の祈りの時間には清澄な音を響かせています。

1993年(平成5年)4月に、青森県の重要文化財として指定されました。

内部は見学できませんが、珍しい赤レンガ造りの教会は重厚感があり、レトロな雰囲気の中に趣きがあって外観を見るだけでも懐かしさがあります。

弘前昇天教会までのアクセス

住所

青森県弘前市山道町7-1

交通アクセス

JR「弘前」駅前より弘南バスの土手町循環100円バスで約7分、「中土手町」下車徒歩約5分
弘南鉄道大鰐線「中央弘前」駅より徒歩約1分

旧東奥義塾外人教師館

旧東奥義塾外人教師館の外観

旧東奥義塾外人教師館(きゅうとうおうぎじゅくがいじんきょうしかん)は、弘前城の追手門から近い場所にあり、1900年(明治33年)に再建したものです。

旧藩校の建物を引き継いで開校された私立学校の東奥義塾の敷地内で、その名の通り、東奥義塾の遺構で外国人教師を住まわせていました。

木造2階建てで屋根は赤いトタン葺き、外側に出した木骨や窓枠を緑色に塗り、下見板を用いた板壁はクリーム色で塗装されています。

1階は喫茶スペースとして活用されているほか、事務スペースのような部屋とトイレ、浴室といった温かみのある空間です。

2階は主寝室、書斎、子供部屋など、雰囲気が分かるように家具や調度品が置かれています。

西洋の家は、照明光の扱い方に長けているだけでなく、陽の光を多く取り込もうと長方形の窓が多く並んでいるのが特徴です。

旧東奥義塾外人教師館までのアクセス

住所

青森県弘前市下白銀町2-1

交通アクセス

JR「弘前」駅前より弘南バスの土手町100円循環バス「市役所前公園入口」下車すぐ

青森銀行記念館(旧第五十九銀行本店本館)

青森銀行記念館(旧第五十九銀行本店本館)の外観

青森銀行記念館は、旧東奥義塾外人教師館から東へ少し歩いた場所にあり、弘前市の誇る近代建築の見せ場とされています。

1904年(明治37年)に、青森県で最初に設立された第五十九国立銀行を前身とする、第五十九銀行の本店として建てられました。

戦前に青森銀行の弘前支店になった後、1965年(昭和40年)年に現在の弘前支店が新築移転するのに伴い、地元住民による強い要望から記念館として保存され、現在に至っています。

左右均等のシンメトリーで、調和よく建てられた木造2階建てのルネサンス風建築で、柱などの木材は青森県産のケヤキを、建具は青森県産のヒバを使用しています。

設計や施工を手がけたのは、旧弘前市立図書館も手掛けた棟梁の堀江佐吉で、59歳という晩年ということで、これまでに同氏が修得した和洋のすべての技法を投入したといわれています。

完成度の高い和洋折衷手法を駆使した堀江佐吉の最高傑作で、弘前を代表する洋風建築の1つとして、1972年(昭和47年)に国の重要文化財に指定されました。

青森銀行記念館までのアクセス

住所

青森県弘前市元長町26

交通アクセス

JR「弘前」駅前より弘南バスの土手町100円循環バスで「下土手町」下車、徒歩約5分

奥膳懐石 翠明荘

翠明荘の入り口

翠明荘(すいめいそう)は、弘前公園の近くにある奥膳懐石料理の料亭です。

もともとは1895年(明治28年)に青森銀行元頭取・高谷英城氏の別邸として建てられたもので、その後昭和初期にかけて増築されました。

青森銀行記念館や太宰治の生家・斜陽館の建築家として知られる、堀江佐吉の一族が施工した建築物です。

建物は、総檜入母屋造りの趣で、登録有形文化財に登録されています。

庭園は、桂離宮枯山水の流れをくむ茶庭で、京都より呼び寄せた庭師の設計によるそうです。

個室で贅沢にいただく懐石料理

翠明荘の奥膳懐石料理

料理は、昼食が3000円台から、夕食は8000円台からとなっており、この日は予約しなくても空いていたため個室に案内され、昼食をいただきました。

感想を一言でいうなら、濃すぎず薄すぎず、食材を生かした味付けで胃にも優しいです。

料理人の手間がかかっているのもわかるほど細工や色どりもよく、3000円台でこれほど懐石料理をいただけるのはなかなかないでしょう。

食後は、贅沢な個室で庭を眺めながら抹茶とお茶菓子を束の間の休憩でゆっくりさせていただきました。

奥膳懐石 翠明荘までのアクセス

住所

青森県弘前市元寺町69

営業時間

11:00~14:00・17:00~22:00(水曜定休)
※現在、閉店中

交通アクセス

弘南鉄道「中央弘前」駅より徒歩15分

終わりに

藤田記念庭園(旧藤田家別邸)

世界遺産の三内丸山遺跡はじめ、教会や洋館など青森の歴史や建築に触れる市街地のスポット。

いつも自然を巡る渓谷や山へ旅することが多いため、同じ土地にきたからこそ寄り道することで得られる発見や感動があります。

洋館巡りといえば、真っ先に兵庫・神戸の北野異人館街が浮かぶでしょうが、青森・弘前で見られる教会や洋館は、身近というかどこか懐かしい面影があります。

兵庫・神戸の洋館は明治時代が中心で、青森・弘前の洋館が大正時代に近いことを知ると確かにと気づくことも多いです。

今回紹介した観光地は、弘前城・弘前公園を訪れたついでに寄れるスポットばかりですので、ぜひ昔ながらの建造物を眺めてみるのもいかがでしょうか。

筆者は教会や洋館巡りをしていながら、徒歩圏にある弘前城へ寄っていかなかったことをずっと疑問に感じています。

最後の締めに予定していた翠明荘の奥膳懐石と抹茶でホッとしてしまったのでしょう、いつかまたきたいと思います。

※使用カメラは、Cannon IXY 900IS

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以下の記事では、奥入瀬渓流や十和田湖、世界遺産の白神山地など、青森の自然に触れるスポットを紹介しています。

大自然の中をトレッキングしたい方に、夏の散策に適した服装も解説していますので併せてご参考ください。

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