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厳美渓や三王岩、龍泉洞など…岩手の自然と歴史に触れ、東日本大震災の傷跡も巡る

2023年8月2日

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厳美渓や三王岩、龍泉洞など…岩手の自然を巡る

岩手の自然といえば海、特にリアス式海岸を思い浮かべるでしょうか。

自然に囲まれた数ある観光スポットの中でも、海と繋がる厳美渓や浄土ヶ浜は長年にわたって形成されてきた岩壁の造形美が壮大です。

また歴史としても奥深く、奥州藤原氏三代ゆかりの寺である中尊寺や毛越寺も観光に外せません。

今回は、岩手の自然と歴史に触れるとともに、道中で目に焼きついてきた東日本大震災の傷跡も紹介します。

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この記事を書いた人

颯彩(ふーあ)

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厳美渓

厳美渓

厳美渓(げんびけい)は、栗駒山から一関市内へと流れる磐井川が巨岩を浸食し、長い時をかけて形成された渓谷で、1927年に国の名勝及び天然記念物に指定されました。

自然が織りなす造形美

深いエメラルドグリーンの水流により、時間をかけて奇岩や怪岩、甌穴、深淵、滝と表情を変えていくダイナミックな造形美は見応えがあります。

人の手では造ることができない自然が織りなす厳美渓は、約2キロにわたって静と動が続き、神秘的な世界を感じることができます。

荒々しい流れが岩にぶつかり、豪快な水飛沫を上げる上流と、ゆったりとした深淵が見られる下流とで変化に富んだ景観が楽しめます。

空飛ぶだんご

厳美渓名物の空飛ぶだんご

自然が彫り上げた渓谷美を堪能した後は、対岸からロープ伝いにカゴが飛んでくる厳美渓名物「空飛ぶだんご」を味わってください。

お店は「かっこうだんご」(郭公屋)という渓流をはさんだ対岸にあり、そこに張られたロープに下がる岩場のカゴに代金を入れて木槌で板を叩くと、カゴが引き上げられて代わりに注文しただんごとお茶のセットが入って降りてきます。

カゴの中のお茶もこぼれず手元に届くというのは、長年の経験から成せる技なのでしょう。

お店で飲食も可能

かっこうだんごの郭公屋

筆者は、対岸にある明治40年創業の店頭まで行き、店内からカゴが飛んでくる姿をゆっくり眺めながらお茶と一緒にいただきました。

餡と黒ゴマ、醤油の団子はどれも出来たてで温かく、もっちりとした歯ごたえと甘すぎないほんのりした塩味がおいしかったです。

新型コロナウィルス感染症対策により、しばらくは店内飲食を休止していましたが、2024年より可能になっています。

店頭で本数や組み合わせを注文することも可能ですので、営業時間などを含めWebサイトなどで確認してください。

餡と黒ゴマ、醤油の団子セット

厳美渓までのアクセス

住所

岩手県一関市厳美町字滝の上地内

交通アクセス

JR「一ノ関」駅より車で20分
JR「一ノ関」駅より岩手県交通バス・厳美渓線で20分、「厳美渓」下車徒歩1分

郭公屋の住所・情報ページ

岩手県一関市厳美町字滝ノ上211

中尊寺

中尊寺本堂

中尊寺(ちゅうそんじ)は、岩手県の平泉町にある天台宗の寺院で、850年(嘉祥3年)に比叡山延暦寺の高僧慈覚大師円仁によって開山されたのが始まりです。

その後、12世紀初めに奥州藤原氏初代清衡によって大規模な堂塔造営が行われました。

日本の北方領域における政治・行政上の拠点として平泉を造営するのにあたり、四半世紀をかけて現世における仏国土(浄土)を表す精神的な中核の寺院として最初に建立されました。

中尊寺創建当初の姿を今に伝える金色堂は、1124年(天治元年)に上棟されました。

金色堂は、外側だけでなく内側も全て金箔で覆われており、創建時から「皆金色の仏堂」と呼ばれていたそうです。

このことから中尊寺は、奥州藤原氏三代ゆかりの寺として知られており、平安時代の美術、工芸、建築の粋を集めた金色堂をはじめ、3000余りある国宝・重要文化財を有しています。

また、中尊寺金色堂は、2011年(平成23年)に「平泉~仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群~」として世界文化遺産に登録されています。

中尊寺の山道から見える風景

中尊寺までのアクセス

住所

岩手県西磐井郡平泉町平泉衣関202

交通アクセス

JR「平泉」駅より徒歩20分

毛越寺

毛越寺の正門入り口

毛越寺(もうつうじ)は、岩手県の平泉にある天台宗の寺院で、本尊は薬師如来立像、平安様式の造りです。

山の斜面にある中尊寺に対し、毛越寺は平坦な地に建てられています。

中尊寺と同じ850年(嘉祥3年)に慈覚大師が開いたのが始まりで、奥州藤原氏二代の基衡(もとひら)が造営に着手、三代の秀衡(ひでひら)が完成させ、堂塔40、僧坊500を数える規模です。

その後、度重なる災禍により当時の伽藍は焼失しましたが、大泉が池を中心とする浄土庭園と平安時代の伽藍遺構がほぼ完全な状態で保存されており、国より特別史跡、特別名勝の二重指定を受けています。

また、2011年(平成23年)には、「平泉~仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群~」として世界文化遺産に登録されています。

開山堂

毛越寺の開山堂

開山堂は、毛越寺を開いた慈覚大師円仁を祀る堂で、堂内には慈覚大師像、両界大日如来像、藤原三代(清衡、基衡、秀衡)の画像が安置されています。

円仁は、比叡山延暦寺の貫主で、中尊寺はじめ山寺の呼び名で知られる立石寺(山形市)、松島の瑞巌寺、東京・浅草の浅草寺も円仁が開いた寺と伝えられています。

866年(貞観8年)、清和天皇より「慈覚」の大師号が初めて贈られ、師である最澄には「伝教」の大師号が贈られています。

浄土庭園

毛越寺の浄土庭園

平坦な地に建てられた毛越寺では、平安時代の貴重な浄土式庭園を散策するのにおすすめです。

庭園の中心にある広大な池は「大泉が池」といい、東西約180メートル、南北約90メートルあり、作庭された平安時代当初の姿を伝えています。

池のほぼ中央部に東西約70メートル、南北約30メートル、勾玉状の中島がありすべて玉石が敷かれています。

大泉が池の東南岸にある出島(でじま)は、水辺から水中へと石組みが突き出し、荒磯の風情を表現しているとのことです。

その先端の飛島(とびしま)には、池中立石と呼ぶ約2.5メートルの景石が立てられ、浄土庭園の象徴として池全体を引き締めています。

その周辺には、中小の石を荒々しく散らし、玉石が敷き詰められています。

毛越寺までのアクセス

住所

岩手県平泉町字大沢58

交通アクセス

JR「平泉」駅より徒歩7分

観自在王院跡

観自在王院の浄土庭園

中尊寺から毛越寺に向かう途中に隣接する観自在王院(かんじざいおういん)は、奥州藤原氏二代基衡の妻(安倍宗任の娘)が建てた寺院です。

舞鶴が池を中心にした浄土庭園が広がり、境内の背後には金鶏山が見えます。

舞鶴が池は南北110メートル、東西105メートル、総面積9000平方メートルあり、池跡は長く水田となっていました。

大小2つの阿弥陀堂(大阿弥陀堂と小阿弥陀堂)を配置し、極楽浄土を表現していたと考えられる庭園は、1189年(文治5年)の源頼朝の奥州征伐以後は水田となっていましたが、1973年(昭和48年)から3年かけて復元されました。

観自在王院の浄土庭園

観自在王院跡までのアクセス

住所

岩手県西磐井郡平泉町平泉字志羅山地内

交通アクセス

JR「平泉」駅より徒歩7分

浄土ヶ浜

浄土ヶ浜(じょうどがはま)は、鋭く尖った白い岩が並び、一つひとつ違った表情を見せてくれる海岸で、三陸復興国立公園にある三陸を代表する景勝地の1つです。

庭園のような海岸

浄土ヶ浜

岩の上には、岩手県の県木でもあるナンブアカマツなどの常緑樹があり、白い岩肌とのコントラストが庭園のような趣があります。

浄土ヶ浜という名前は、1681年から1683年の天和年間に、宮古山常安寺七世の霊鏡和尚が「さながら極楽浄土のごとし」と、この地に感嘆したことから名づけられたといわれています。

あの宮沢賢治も、1917年7月に浄土ヶ浜を訪れ「うるはしの 海のビロード 昆布らは 寂光のはまに 敷かれひかりぬ」という歌を詠んでいます。

浄土ヶ浜の特徴的な白い岩肌は、今から約5200万年前の古第三紀に、マグマの働きによりできた流紋岩という火山岩で、二酸化ケイ素を多く含むため白い色をしているといわれています。

その火山岩からできた白い岩と小石により、入り江が作られているため、海原から隔てられ波も穏やかです。

夏には多くの海水浴客で賑わい、日本の快水浴場百選(海の部特選)に名を連ねています。

また、日本の渚100選・日本の白砂青松100選にも選ばれており、岩手県や国の名勝にも指定されています。

筆者が訪れた際はあいにく曇り空で、青空と白い岩とのコントラストを見ることができませんでしたが、マグマによってできた壮大な奇岩を見ていると、不思議な力を感じずにはいられませんでした。

各種施設や展望台も

浄土ヶ浜のレストハウス

三陸復興国立公園内には、食事ができるレストハウスや展示施設のビジターセンター、水産科学館もあります。

また、御台場展望台から望む浄土ヶ浜と周辺の島を見るのもよいでしょう。

展望台へ向かう歩道途中に岩崖が見えてきますが、まるで手で彫ったようなグラデーションの造形美が見られます。

浄土ヶ浜の景観は、浄土ヶ浜海岸から眺めるのが一般的ですが、船に乗って海から観光することもできます。

また、青の洞窟(八戸穴)で願いが叶うといわれているスポットもあり、船から間近に見ることもできるそうです。

浄土ヶ浜までのアクセス

住所

岩手県宮古市日立浜町

交通アクセス

JR山田線「宮古」駅より岩手県北バス・浄土ヶ浜行きバスで20分、「奥浄土ヶ浜」バス停下車すぐ

JR「盛岡」駅の東口7番バス停より岩手県北バス「盛岡駅-浄土ヶ浜パークホテル前」で2時間30分(1日18往復)

龍泉洞

龍泉洞の第三地底湖

龍泉洞(りゅうせんどう)は、山口県の秋芳洞と高知県の龍河洞と並び、日本三大鍾乳洞の1つに数えられている鍾乳洞です。

洞内総延長は現時点で4088メートルと確認されており、そのうち700メートルが公開されています。

また、地底湖は8つ見つかっており、そのうち3つが公開中です。

現在も調査を継続しているため未知の部分も多く、推定では総延長は5000メートル以上あるのではないかといわれています。

1938年(昭和13年)12月に、洞内に棲むコウモリと共に「岩泉湧窟及びコウモリ」として国の史跡名勝天然記念物に指定されています。

龍泉洞の地底湖は、北に広がる森林地帯から集まったもので水深120メートルあるとされ、洞内湖では世界一の透明度といわれています。

第一地底湖は水深35メートル、第二地底湖は水深38メートルです。

第三地底湖の水深は98メートルで、1967年の潜水調査で発見され、現在は観光コースの最終地点になっています。

この龍泉洞は、世界有数の透明度で、目の覚めるような鮮やかな青い地底湖は神秘的です。

水は、透明度が高いほど青い光がより強く散乱され、深さが増すとより濃く深く見えます。

海が青く見えることと同じ原理で、透明度の高い水を豊富に満たす「ドラゴンブルー」という澄んだ青色の輝きをもつ地底湖が、龍泉洞で一番の見どころです。

他に入口から直線的に伸びる洞窟の空間、龍の頭の形に似ていることから名付けられた龍の淵、亀の甲に似た亀岩といった独特な形の岩、芸術品のような鍾乳石も注目です。

洞内は、1年中10℃前後と気温が安定しており、夏でも肌寒く感じるため、羽織りなど上着を持参した方がよいでしょう。

龍泉洞の上から見た地底湖

龍泉洞までのアクセス

住所

岩手県下閉伊郡岩泉町岩泉字神成1-1

交通アクセス

JR「盛岡」駅東口1番のり場よりJRバス東北「盛岡-岩泉・龍泉洞」で2時間10分、終点下車すぐ(1日4~5便)

三王岩

三王岩(さんのういわ)は、岩手県宮古市の田老地区にある3つの巨岩を指し、三陸復興国立公園に数ある奇岩景観の中でも最も圧巻といわれています。

1億年もの大昔の地層が、寄せ返す波と海原を吹き渡る風により、約1万年をかけて形成された自然の芸術品です。

男岩・女岩・太鼓岩

三王岩

海から立ち上がるように見える三王岩は、高さのある男岩の両側に、女岩と太鼓の形をした太鼓岩が寄り添い、近くに立つと圧倒されるほどの壮観さがあります。

女岩(向かって左側)

高さ21メートルで、脚部が羅賀層、上が田野畑層です。

男岩(中央)

高さ37メートルあり、5分の2が羅賀層、その上が田野畑層です。
直径2メートルの海しょく洞があります。

太鼓岩(向かって右側)

高さ13メートルで、田野畑層からなる転石です。

津波の脅威を目の当たりに

2011年3月11日に発生した東日本大震災の津波により、手前にある1つの大きな岩が約30メートル先の位置まで運ばれてきました。

重さ200トン以上と推定される巨岩をも動かす強大な力が、津波の脅威を物語っており、震災の記憶と経験を後世に伝えているそうです。

遠くに見える重茂半島

展望所からみる三王岩と重茂半島

写真で奥の左端にあるのが重茂半島(おもえはんとう)といい、左から閉伊崎、鯔ヶ崎、月山といい、鯔ヶ崎(とどがさき)は本州最東端の地で灯台があります。

重茂半島の海沿いには、リアス海岸の断崖と大小30余りの岩礁群で構成された佐賀部は、ウミネコの繁殖地となっています。

三王岩までのアクセス

住所

宮古市田老字青砂里

交通アクセス

JR「盛岡」駅より三陸鉄道リアス線で「新田老」駅下車、徒歩25分

田老町で見た東日本大震災の傷跡

岩手の旅には、東日本大震災の傷跡を目にするという、もう1つ目的がありました。

すべての被災地を巡るにはさすがに時間が足りないため、特に津波被害の大きかった田老町へ行った時の記録になります。

田老の防潮堤

田老の防潮堤

田老町は、津波に対して強い街づくりを進めており、日本一ともいわれる防潮堤を築いたことで「津波防災の町」として知られています。

町全体を囲む総延長約2.4キロメートル、高さ10メートルある防潮堤は、かつて「万里の長城」と呼ばれており、定期的に津波の避難訓練が行われたり、避難場所・避難経路を示す表示が多く設置したりするなど、津波に対する取り組みを行っています。

1896年(明治29年)の明治三陸大津波では死者1895人、1933年(昭和8年)の三陸大津波では死者911人という壊滅的な被害を受けた岩手県宮古市の田老地区(旧田老町)が、翌年の1934年(昭和9年)から1958年(昭和53年)までの年月をかけて整備した長大な防潮堤です。

防潮堤を超えた東日本大震災の津波

田老の防潮堤背後にある高台

しかし、2011年(平成23年)3月11日に発生した東日本大震災による津波は、この高さ10メートルある防潮堤を超え、後ろの高台をも超え田老の町を飲み込み、甚大な被害を受けました。

その後の現地調査により、陸地の斜面を遡って到達した津波の高さ(遡上高)が、37.9メートルにまで達していたことがわかっています。

震災後は、防潮堤の高さを巡って田老地区でも賛否が分かれ、次に建設する防潮堤は高さ14.7メートルで進められているそうです。

防潮堤の側に立つと、私たち人間は本当に小さくて、ひとたまりもないことがわかります。

同時に、防災安全のためとはいえ、町が壁で囲まれて景色が見えなくなるのも残念な気持ちになります。

過去3度の津波到達点

津波水位表示棟となった元製氷貯氷施設

田老漁協にある製氷貯氷施設の外壁には、過去に起こった津波の高さを示すプレートが3枚設置されています。

明治三陸大津波(明治29年)には最大波高10メートル、三陸大津波(昭和8年)は最大波高15メートル、そして東日本大震災(平成23年)では最大波高17.3メートルを示す3枚のプレートです。

東日本大震災の津波は、過去2度の津波の高さをはるかに凌ぎ、田老地区に大きな被害をもたらしたことがわかります。

現在、製氷貯氷施設は津波水位表示棟となり、漁協の背後にある岩壁にもプレートが設置されていますので、この津波到達点の下に立つことで津波の高さを体感することができます。

津波の脅威と防災の教訓として活用される重要なポイントとして案内してくれたのでしょう、見上げるような高さにただただ唖然とし、自然の脅威は計り知れないものだと改めて思いました。

たろう観光ホテルなど

たろう観光ホテル

たろう観光ホテルは、東日本大震災の津波により6階建ての建物の4階まで浸水し、1~2階は完全に破壊されてしまいました。

その後は、震災遺構として当時のまま残されており、その姿から大津波の破壊力を感じることができます。

防災意識の向上のために活動している「学ぶ防災」ガイドにも活用されており、津波が襲来する様子をホテル6階から撮影した映像の上映が行われています。

他に、トンネルだけが残ったまま形のない海沿い道路や海に降りられなくなった海岸など、東日本大震災の惨禍を目の当たりにただ見つめるしかできず、自分たちの手では防ぐことのできない自然の怖さを痛感しました。

トンネルだけが残ったまま形のない海沿い道路

当時の田老駅

筆者が訪れた当時は、盛岡駅からの行きのみ三陸鉄道リアス線が途中分断されている状態だったため、臨時直行バスで田老駅まで向かいました。

田老町周辺では駅前に停まっていたタクシーのおじさんに案内してもらい、三王岩への遊歩道が通行禁止だったものの通してくれました。

帰りは、直行電車があり盛岡駅まで戻れましたが、傷ついた田老駅から見える町を居たたまれない気持ちで眺めるしかできませんでした。

現在は、いわて三陸観光プラットフォームといった観光サービスもあるため、案内ガイドさんをお願いできます。

田老駅

田老の防潮堤までのアクセス

住所

岩手県宮古市田老

交通アクセス

JR「盛岡」駅より三陸鉄道リアス線で「新田老駅」下車、徒歩約7分

終わりに

岩手で見た浄土庭園

筆者は、基本的に自然を巡る旅が多いのですが、この岩手の旅で歴史から成り立ってできる自然を巡ることも、時には気づきにもなると感じました。

浄土ヶ浜や三王岩、龍泉洞にも、歴史や神話があって生まれた自然であり、海の荒波から長年の時をかけて形成されてきたこともまた歴史です。

東日本大震災以降、三陸鉄道リアス線(山田線)は途中で分断されている状態でしたが、2019年には1本にまとまり、リアス線(盛岡~久慈)ができました。

そのため、当時よりも各スポットへアクセスしやすくなっています。

当時、山田線の被害は大きく運転再開までに8年もの期間を要しましたが、あの惨禍を胸に刻み、被災地に思いを馳せて散財してきたことも、旅の目的の1つとして行ってきたのは本当によかったと感じています。

※使用カメラは、Cannon EOS 5D MarkⅡ、SONY NEX-5R

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以下の記事では、同じ東北エリアで、渓流や滝を見ながら散策を楽しめる青森県の奥入瀬渓流を紹介しています。

八甲田山や白神山地など、夏の青森散策に適した服装も解説していますので併せてご参考ください。

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