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人生を見つめ直す機会をくれる「生きるぼくら」のあらすじ、感想・レビュー

2023年4月21日

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「生きるぼくら」・原田マハ

自分の家族や友人など、身近な人が引きこもりになってしまったとき。

もし、自分の家族や大切な人が亡くなってしまったとき。

あなたならどう立ち直り、自分の未来をどう進むだろうか。

今回紹介する本は、原田マハさんの「生きるぼくら」です。

当ブログでは、本の中で気になった言葉や心に残るメッセージを引用しつつ感想を書いていきます。

文中にはネタバレもありますので、読みたくない方は「感想・レビュー」の見出しにかかる本文を飛ばして読んでいただけると幸いです。

生きるぼくら:基本情報

書籍名:生きるぼくら
作者名:原田マハ
出版社:徳間文庫(徳間書店)
発売日:2015年9月4日

生きるぼくら

主要な登場人物

麻生人生

高校時代のいじめがきっかけで引きこもっている24歳の青年。

中村真麻

長野県蓼科の農村で暮らす、人生の父方の祖母。
子どもの頃からマーサばあちゃんと呼んでいる。

中村つぼみ

人生の父の再婚相手の連れ子で義理の妹。
21歳で対人恐怖症を患っている。

簡単なあらすじ

小学生の頃に両親が離婚、高校時代のいじめから引きこもりとなった24歳の主人公・麻生人生。

ある朝突然、頼りだった母が書き置きを残し、年賀状の束と5万円を置いて失踪。

その中に父方の祖母であるマーサばあちゃんからの年賀状を目にし、「もう一度会えますように。私の命が、あるうちに」という文言に、人生は4年ぶりに外へ出る。

祖母・マーサばあちゃんのいる長野県蓼科へ向かうと、父の再婚相手の娘・つぼみがいた。

引きこもりとなった24歳の主人公・麻生人生が、1通の年賀状を頼りに祖母のいる長野県蓼科へ向かい、米作りに関わることにより人生を再出発していくストーリー。

感想・レビュー

感想・レビューの文章内にはネタバレもありますので、読みたくない方は、この本文を飛ばして読んでください。

母の失踪、引きこもりからの脱出

母の失踪にこの先どうしようかと途方に暮れた人生は、母が残していった年賀状の中に子供の頃家族で訪れたことのある蓼科に住む父方の祖母からの年賀状を目にします。

年賀状に書かれていた「余命数ヶ月」と「もう一度会えますように。私の命が、あるうちに」の文言に、人生は祖母のいる蓼科に行こうと決心します。

これは、母が家を出ていったことがきっかけで、4年間引きこもっていた人生が引きこもり生活に終わりを告げる瞬間でした。

最寄り駅から新宿まで出たものの、年賀状にある蓼科までへの行き方もわからず、人混みの中でしどろもどろに駅員に聞きながら、右往左往する人生の姿が変わる期待を胸にはらはらしながら読み続けました。

再会した祖母は…、つぼみとの出会い

十数年ぶりに再会した祖母の真朝(マーサばあちゃん)は、認知症を患っていました。

祖母の家で人生の父が再婚した相手の娘であるつぼみとも出会い、父が去年に病気で亡くなっていたことを初めて知ります。

つぼみはいじめにより対人恐怖症になっており、マーサばあちゃんは息子(人生の父)を亡くしたことに精神的ショックを受け認知症になったようでした。

人生は、マーサばあちゃんとつぼみと3人で暮らし始めますが、頼ってばかりではいけないと清掃の仕事を始めます。

つぼみが車で送迎してくれて祖母が弁当を作ってくれる日々を過ごし、初給料には3人分のケーキを買うところで人への心遣いが表れています。

マーサばあちゃんにお金を渡した時に母の姿が重なり、母にもこうすべきだったと今までの自分を後悔しました。

米作りに挑む

マーサばあちゃんは、毎年近所の人たちに手伝ってもらいながら、機械や農薬を使わずに田植え、除草、稲刈りまですべて人の手で作業する自然農法で米作りをしていました。

もう自分の体力では無理だと今年は米作りを諦めていましたが、それを聞いた人生とつぼみは農法を引き継ぐ決意をし、自分たちが手伝うから米作りをしたいと伝えます。

次第に認知症が悪化していく祖母が、2人を徐々に変えていきます。

引きこもりだった人生が、外に出た瞬間から活発になっていきます。

これまでの生活とはガラリと変わったことで、人を気遣いながら過ごしているのが伝わってきます。

人生がマーサばあちゃんを訪ねる時にお世話になった、食堂を営む志乃さんに教えてもらいながら、機械や農薬に頼らない手間のかかる昔ながらの手法で米作りに取り組んでいきました。

そこへ、清掃業務の派遣先で知り合った田端さんに、東京の大学に行きながら就活で迷走する息子・純平に田んぼを手伝わせて欲しいと頼まれます。

しかし、文句を言いながらも田植えを手伝っていた純平が悪態をついて東京へ帰ってしまいました。

周辺の人たちに手伝ってもらいながら、人生たちは炎天下の中で草取りをしたり、マーサばあちゃんの世話をしたりと、多忙な日々を送っていきます。

その努力の甲斐もあり稲は順調に育つものの、人生は喧嘩別れしてしまった純平のことが気になり、「あの時植えた苗、こんなにでかくなったぞ」という文と田んぼの写真をメールで送ります。

純平からの返信はありませんでしたが、人生は毎日のように田んぼの様子や生長した稲を写真に撮り、メールの件名に「生きるぼくら」と書き込んで送信し続けます。

1ヶ月経った後、純平が突然帰ってきて気持ちを入れ替えて就職を決めました。

人生とつぼみも、お互いが家族の一員として大切な存在だと思い始めるようになり、稲の成長とともにマーサばあちゃんも少しずつ意思の疎通ができるようになっていきます。

稲作りにおいて農村の人たちや孫たちとの交流により、奇跡的に認知症から回復する祖母とのやりとりに、筆者は3年前に亡くなった父方の祖母を思い出します。

母方の祖母も機械を使わずに畑を耕したくさんの野菜を作っていたため、自分たちも収穫や川での野菜洗いを手伝っていたことが懐かしいです。

余命数ヶ月の本当の意味

人生は、父の墓参りへ行った帰りにマーサばあちゃんとの会話から、つぼみとともに持っている今年の年賀状は祖母からではなく、亡くなった父からだと判明します。

年賀状に書かれていた「余命数ヶ月」というのは、マーサばあちゃんではなく父のことでした。

人生とつぼみは、マーサばあちゃんの余命ではないことに安堵しつつ、父の思いを知って嬉しかったことでしょう。

そして稲刈りも終え、かまどで新米を炊き、皆と無事に米作りができた喜びを分かち合いました。

母に送ったメッセージ

人生はここまで導いてくれた人たちに感謝しながら、母に「母ちゃん。もしもこのメールを受け取ったなら。一度だけでいい。返事がほしいんだ」という文章をメールに入力し、マーサばあちゃんを中央に人生やつぼみ、純平、志乃さんが肩を寄せる写真を添え、件名を「生きるぼくら」で送信します。

母からすぐに電話がかかってきて、人生は今の充実している生活を報告し、マーサばあちゃんに教えてもらった仲直りの方法で母に感謝の気持ちを伝えます。

その言葉を聞いて、お母さんはどんなにか嬉しかったことでしょう。

マーサばあちゃんとつぼみ、そして自分が新米で握った3つのおにぎりを持って、人生は母に会いに東京へ行きます。

人生は、母に一緒に蓼科で暮らさないかと提案するつもりです。

響いた言葉

─田んぼで育つ稲のように、自分たちには、空を目指してどんどん伸びていく本能が備わっているはず。
お米の力を信じて、とことん付き合ってあげなさい。─

─自然に備わっている生き物としての本能、その力を信じること。
すなわち、生きる力、生きることを止めない力を信じること。─

─「お米の力」という言葉を「人間の力」という言葉に置き換えてみる。
すると、それは「自分の力」という言葉になる。─

─「自分の力」を信じてとことん付き合ってあげなさい。自分自身に。─

(本書333ページ目より)

勝ち組とか負け組とかは関係ない。

すべては己との闘いであり、自分の意思次第で伸ばしていくことはできる。

だから自分を信じて、自分と向き合い、前へと進め。

自分に自信がもてなくなった時に、この言葉を思い出したい。

生きるぼくら:まとめ

人生のどん底にいた青年が、母の失踪により数年ぶりに外の世界へ踏み出した一歩がその後の生き方を大きく変えることに。

蓼科での米作りを通して、豊かな自然や人の温かみに触れながら、「生きる力」を取り戻していく姿が温かく、時に厳しくもある描写がよかったです。

母は、どんなに辛い覚悟で家を出ただろうか、この決断が人生が立ち直るきっかけを作ったのは間違いないでしょう。

人生にとっても、自分を取り戻す旅だったことでしょう。

自然の力と温かい人との関わりは、人間にとって本当に大切なことであり、活力になっていると思います。

筆者の実家とはかけ離れている、家族の絆の深さを教えてくれるストーリーでした。

人生の祖母や両親、義理の妹を思う気持ち、祖母が息子(人生の父)の死を悲しんでいる気持ち、両親が人生を思う気持ちに心を揺さぶられました。

同時に、数年前に永眠した祖母、その祖母より先に去った息子(筆者の父)と重なりました。

父は厳格主義で、酒に呑まれると手がつけられない性格で確執が続いていましたが、今思うとたくさんのものを残してくれたと改めて考えさせられることがあります。

著者の原田マハについて

原田マハ(はらだ まは)

1962年東京都生まれ。

関西学院大学文学部、早稲田大学第二文学部卒業。

美術館の仕事を経て、顧客だった森ビルの社長に声をかけられ森美術館設立準備室に勤務。

ニューヨーク近代美術館(MoMA)と森美術館が提携関係を結んだことにより、ニューヨークへ派遣。

その後独立し、キュレーターとカルチャーライターとして活動する。

2005年「カフーを待ちわびて」(宝島社文庫)で作家デビュー。

同作が日本ラブストーリー大賞を受賞、後に映画化される。

2012年「楽園のカンヴァス」(新潮社)で山本周五郎賞受賞。

2017年「リーチ先生」(集英社)で新田次郎文学賞受賞。

(参考:公式サイトより)

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